今年も、あの日が来た。
私が生まれて初めて、死を意識した瞬間だ。
いつもより、とびきりに寒い朝だった。
いつものように、
布団にもぐりこんで眠っていた。
気がついたら、家中が揺れていた。
経験したことのない大きな揺れに、起き上がることすらできなかった。
何が起きているのか、分からなかった。
この揺れが夢じゃなく、現実だと、地震だと理解するのに、数秒かかった。
ベッドから振り落とされそうになりながら、両手で布団にしがみついてるのがやっとだった。
部屋の中でいろんなものが落ちる音がしていた。
ぎしぎしと音を立ててゆれる天井を眺めながら、
「地震で死ぬって、こういう揺れなんやな」
と思った。
怖くて仕方ないのに、どうしようもないと分かっていた。
長い長い時間、揺れていた気がするけど、実際どのくらいの時間だったのかはよく分からない。
いつのまにか、家のきしむ音が収まったのに、頭の芯がぐらぐら揺れていた。
家族の呼ぶ声に、はっと我に返った。
布団を握り締めていた手は固まってしまったかのようで、すぐには動けなかった。
ようやく起き上がれたとき、
財布の入ったかばんを持って家の外に飛び出した。
自分では、冷静に考えていたつもりだけど、メガネを持ち出すのを忘れていたので、真っ暗闇の中では外の様子はまるで見えなかった。
幸い、自宅は大きく揺れたものの、被害はほとんどなく、我が家の付近だけは停電も免れた。
余震がひっきりなしに続くので、しばらく家の外にいたけれど、あの日は特に冷えていたので、家族と家の中に入った。
恐る恐る自室に戻ると、
テレビが台から落ちる寸前だった。
あわてて元の位置に押し戻して、リモコンで電源を入れた。
NHKを見ると、
アナウンサーが地震の
ニュースを伝えていた。
さっきの地震は、大阪湾が震源地だという。
そういえば、各地の震度が出ているが、
大阪の震度は出ているのに、
神戸の震度がでていない。
あれだけ揺れたのに、大阪ではさほどの震度ではないらしい。
なんで?なんで神戸の震度は出てないの?
情報がないことで、少しずつ、恐怖がこみ上げてきた。
いてもたってもいられず、情報を求めて、ラジオのスイッチを入れた。
いろんな声が流れているが、動揺していて、どれを聞いてもうまく耳に入らない。
もしかしたら、とんでもないことが起きたのかもしれない。
だとしたら、電話も通じなくなるかもしれない。
あわてて、父方、母方、双方の親戚に電話を入れた。
早朝ではあったが、幸い、どちらもすぐに電話が通じ、こちらで地震が起きたこと、家族全員が無事であることだけを告げた。
なんと、
九州まで揺れていたと伯父に聞かされ、驚いた。
当時、
岡山で下宿生活をしていた弟は、卒論の仕上げをするため、深夜に岡山に戻っていた。
おそらく、徹夜明けで眠りこけていたのだろか、いくら電話を鳴らしても応答がないので、こちらが無事であることと、留守電を聞いたら電話をくれるようにと留守電に
メッセージを残した。
とりあえず、自分たちの無事を知らせることができて、このとき、ようやく少しだけほっとした。
その間も、大きな余震が続いた。
すると、東灘区で阪神高速の高架が倒壊している、とラジオのニュースが告げた。
ああ、やっぱりとんでもないことが起きたんだ。
絶望、という言葉に押しつぶされそうだった。
東灘の阪神高速の高架沿いに、同僚の自宅があることを思い出して、背筋が凍りついた。
まさか。そんな。
やがて、ラジオのニュースが、地震により死者の数を伝え始めた。
案の定、外が明るくなり始めた頃には、電話はまるで通じなくなってしまった。
テレビのニュースで地震を知った人たちが、いっせいに電話をかけ始めたのだろう。
停電を免れたとはいえ、大きな余震が続くので、怖くてプロパンガスを
使うわけにもいかない。
頻繁に起きる余震で平衡感覚がおかしくなってきた。
揺れているのか、揺れていないのか、分からなくなっていた。
頭の芯は、ぐるぐると揺れたままだった。
被災地の中心にいたわけではない。
大きな被害を受けたわけでもない。
それでも、あの瞬間のことは一生残るだろう。
あれはまぎれもなく、死というものを、目の前に突きつけられた瞬間だった。